明治17年(1884)3月、東京帝国大学裏手の向ヶ岡弥生町(現文京区弥生)の貝塚で口頸部は欠損するものの、胴部以下が完存する球形の土器が発見されました。その7年前の明治10年(1877)10月、エドワード・S・モース(1835~1925)によって、日本ではじめて科学的な発掘調査が行われた大森貝塚(東京都品川区・大田区)から出土した縄文土器とは異なるこの土器は、発見場所の地名から「弥生式土器」と呼ばれました。
縄文土器と比べ、薄手で硬く、明るい褐色の土器は、その後、東海・北陸地方をはじめ、九州から東北までの広い地域から出土するようになり、それらの土器を使った時代や文化の実態が明らかとなり、弥生時代あるいは弥生文化として知られるようになりました。その文化を象徴する弥生土器は、多様な縄目文様やうつわから溢れるような突起物で装飾された火焔土器など、躍動的な縄文土器とは趣を異にし、機能性に優れたシンプルな造形と洗練された意匠は、静穏で対照的であるといえます。
いまから約2,400年前(一説では約3,000年前)、稲作が大陸から北部九州へと伝わり、それまでの狩猟や漁労、採集を生業として自然と共生してきた人々の生活は、農耕を中心とした生活へと変わっていきました。また、稲作とともに青銅器や鉄器も伝わり、新たな素材による道具の普及は、農耕生活や社会構造に影響を与え、最も身近な道具であった土器についても、用途にあわせた多様な土器や地域によって特色のある土器が生み出されることとなりました。
この展覧会では、全国各地の遺跡から出土した重要文化財31点を含む、160点を超える多種多様な弥生土器の優品を通して、その造形美や意匠とともに、弥生人の生活やモノづくりの技術の一端も探っていきます。